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「AlphaGo」によってもたらされた衝撃から1年半・・・日本囲碁界の次代を担う棋士とAIとの戦いを振り返る。また、これからの棋士の存在意義とは何か。
(日本棋院棋士:一力遼七段インタビュー) 第1回(全3回)
2017年5月、中国浙江省烏鎮で「囲碁の未来サミット」が開催され、当代世界最強棋士の一人である中国棋院棋士の柯潔九段(※1)を3-0で破り、これを機に「AlphaGo」は囲碁から引退すると発表された。「AlphaGo」は囲碁を知る多くの人々の心を大きく揺さぶり、さらい、そして嵐のように去っていった。
2016年1月、学術誌NatureにMastering the Game of Go with Deep Neural Networks and Tree Searchという論文が掲載された。Google DeepMind社によって開発されたコンピューター囲碁プログラム「AlphaGo」は、他のプログラムに対して勝率99.8%を達成し、ヨーロッパチャンピオンであり、中国棋院棋士の樊麾(ファン・フェイ)二段を5-0で破ったと書かれていた。
それまでは日本棋院プロ棋士と囲碁プログラムとの公式定期戦である「電聖戦」での対局において、強豪囲碁プログラムであるZen、Crazy Stone、Dolbaramが4子局でプロ棋士を破っていたが、「AlphaGo」はそこから驚異的なブレイクスルーを果たしたことになる。
しかし、2016年3月にやはり世界最強棋士の一人である韓国棋院棋士の李世ドル九段(※2)と対決すると聞いたときには、ほとんどの人間は「まだ囲碁プログラムが世界トップクラスと対決するには早いだろう」と感じただろう。なんと言っても、李世ドル九段は2002年から2015年にかけて国際戦を18回も優勝している、真の世界第一人者であったのだから。
しかし、結果は「AlphaGo」が4-1で勝利した。その時の衝撃は筆舌に尽くし難く、その影響は囲碁界だけに留まらなかった。囲碁プログラムは囲碁AI(人工知能)と呼ばれるようになり、ディープラーニング(深層学習)の代表的な成功例と目されるようになった。2017年現在、AIに関する文字を新聞で見かけない日がないほどのAIブームとなっている。
AIと人間との関わりを考えざるを得ない時代となってくることはもはや万人が認めることだろう。そこで私は囲碁に携わる人間として、AIと邂逅した囲碁がどのような未来を迎えるべきなのかを深く考えていきたいと思う。今回インタビューをするのは、次代の日本囲碁界を牽引する棋士・一力遼七段である。気鋭の若手棋士がどのような目で囲碁AIの動きを見、また自身が囲碁AIと対戦したのか。そしてこれからの棋士の存在意義はどこにあるのかを訊いた。
※1 1997年生まれ。中国囲棋協会の囲碁棋士。2015年9月に中国棋士ランキング1位となり、すでに国際戦優勝5回
の実績がある。
※2 1983年生まれ。韓国棋院の囲碁棋士。2002年~2015年という長い期間に渡り国際戦で優勝を果たしており、
一時代を築いた。
聞き手・文 村上深
これまでの固定観念では、相手に4線の地を作らせるのは良く
ないと考えられていた。しかし、黒1のカタツキは右辺を白地
にしても地合いのバランスが取れていると主張している。
村上:確かに、固定観念に縛られずに碁を打てるというのは、ある意味ではうらやましいとも言えるかもしれませ
ん。このシリーズを通して「AlphaGo」の構想力は素晴らしく、第4局で李世ドル九段が放ったワリコミ※5に
よる逆転劇以外は「AlphaGo」の完勝と言っても良かったと思います。一力七段はどのような目でこの結果を
見ていたのでしょうか。
一力:やはり李世ドル九段が敗北したこと自体の衝撃はありました。しかし、一方で「AlphaGo」が囲碁の可能性を
掘り起こしてくれた、という気持ちも強いです。棋士もそれぞれの捉え方をしていますが、大筋では前向きに
捉えている人が多いように思います。
※5 人間が唯一「AlphaGo」に勝利する呼び水となった一手で、のちに「神の一手」と称された。
「AlphaGo」はこのワリコミが打たれる可能性は10万分の7と想定しており、予想外の局面に持ち込まれ
たことで、その後の着手が乱れたと言われている。
7月10日更新 第2回(全3回)
AlphaGoとMaster(※6)の影響
村上:2016年3月の李世ドル九段戦後の囲碁界の動きで何か感じたことはありましたか。
一力:囲碁界全体としては、布石の流行が少し変化したように思います。中国流が増えたり、第5局の布石もしばら
く打たれていましたね。私自身はそれほど打ち方が変わったということはありませんでした。また、棋士の存
在意義についてこれまで以上に考える機会になったことは間違いありません。私自身はそれほど切迫した想い
はなく、日々の棋士の務めを果たしていましたが、人によってはかなり悩まれているように見える人もいまし
た。
村上:なるほど、局数自体は5局だけですから、大きな影響を与えるまでには至らなかったのかもしれませんね。そ
れでは、少し時系列上は飛びますが、2016年末~17年始に現れた「Master」が打った60局についてはいかが
でしたか。
一力:「Master」の碁はかぶりつきでずっと見ていました。国際戦で活躍している世界のトッププレイヤー達が軒並
み負かされていて、しかも内容で圧倒していました。囲碁のテクニックという狭い意味合いで言えば、
「Master」こそが衝撃だったと言えるかもしれません。他の棋士も、「Master」に影響を受けている人は多い
と思います。
※6 ネットの囲碁対戦サイトに「Master」を名乗る打ち手が出現、世界のトップ棋士を相手に60戦60勝とい
う驚異的な戦績を挙げて話題を集めた。その後、開発者のデミス・ハサビス氏はツイッターで、
「Master」は「AlphaGo」の新バージョンであることを明かした。
第2回囲碁電王戦
中韓との距離をどう埋めていくのか。
村上:本日はお時間を頂きありがとうございます。さて、今回はここ1年半ほどの囲碁AIに関して時系列に沿って話
をお聞きするのですが、本題に入る前に一力七段の最近の取り組みについていくつかお聞きしたいと思ってい
ます。まず、本インタビュー直前には中国で行われている甲級リーグに参加されました。名門の重慶チームに
登録されているとのことですが、なぜ甲級リーグに参加することになったのですか。
一力遼七段(以下、一力)
:重慶チームの主将である古力九段にお声がけを頂きました。なぜ自分がお声がけを頂いたのかはわかりません
が・・・「力」つながりでしょうか?(笑)。いずれにしても非常に光栄なことで、その分責任も強く感じて
います。
村上:なるほど、「力」つながりですか(笑)。国際戦での中韓棋士の活躍と比較して、日本棋士との差について問
われることは多いと思うのですが、ずばり課題はどこにあるのでしょうか。
一力:世界戦の経験値に大きな差があります。日本主催の国際戦は現在では若手棋戦のグロービス杯しかありませ
ん。他の世界戦は参加する人数自体が中韓に比べて少なく、予選突破も難しい。私自身も予選突破ができてい
ません。
中韓の棋士は世界戦を中心にスケジュールも組んでいるようですが、日本の棋士は七大棋戦などの他、若手は
若手棋戦も増えているので、自分も含め日程的な課題で国際戦に出場できないケースがあります。ただ、同じ
ように国内タイトル戦の関係で国際戦への出場が難しかった井山裕太九段(※3)が最近は日程調整で出場でき
ることが増えてきました。他の棋士も含めて、国際戦の日程を意識して国内戦の日程調整を行う、という機運
が出てきたように感じます。やっぱり井山九段が活躍すれば自信につながるし、自分たちも頑張ろうと思えま
す。また、世界戦で活躍するための強化施策として囲碁ナショナルチームが2013年に発足し、つい最近では
日本囲碁AIの「DeepZenGo」との強化対局ができるという施策も打ち出されました。このように日本囲碁界全
体で環境を整える動きが進んでおり、いわゆる平成四天王と呼ばれる高尾紳路名人、山下敬吾九段、張栩九
段、羽根直樹九段らを中心とした世代と若手世代が一緒に研究をする、という環境になれば、中韓との差を詰
めることができるようになると思います。中韓がこれまで取り組んできた研究スタイルを踏襲するようです
が、やはり集団研究で理解が深まる部分はあると考えています。
※3 1989年生まれ。日本棋院の囲碁棋士。2016年に囲碁界史上初の同時七冠を達成し、2017年6月現在も六
冠を維持している。日本囲碁界の第一人者。
なぜ棋士でありながら早稲田大学へ進学したのか。
村上:早稲田ウィークリーというメディアのインタビュー記事を拝見しました。その記事の中で”多様性を学ぶ”とい
うキーワードが出てきました。ステレオタイプのイメージかもしれませんが、10代で棋士となった人はその
まま囲碁の修行に専念し、大学はおろか高校へ進学することもない・・・という事が多かったと思います。ま
してや一力七段ほどの実績をすでに残している棋士が学業と言う二足の草鞋を履くことに対して、周囲の方々
からのご意見はあったのだろうと思います。一力七段が自らに必要と考えられた”多様性”とはどのようなもの
なのでしょうか。
一力:確かに、囲碁に専念してほしいという声はたくさん聞きましたし、私自身も葛藤はありました。しかし、大学
に行くことで棋士としての自分に対してマイナスになることはないと判断しました。対局等の棋士の務めと学
業の両輪となりますが、時間が限られるからこそ集中できるということもありますし。特にAIの登場以降は顕
著になったことですが、既存の「棋士としての在り方」というものが変わったような気がします。今までの棋
士は棋力と言うものさしが非常に大きなウェートを占めていたのですが、AIが登場してからはそのように単純
な図式では考えることができなくなると思います。
村上:棋力が絶対的な指標になりえない時代になってきた、というのはよくわかります。それでは、一力七段が考え
る「棋士が備えるべき能力」というのは何かありますか。
一力:非常に近しい世界として、将棋界というのは良いモデルだと思っています。将棋棋士の方々はとてもメディア
に出る方が多いように感じます。また、abemaTV(※4)と提携して対局中継を行ったりもしていますし、普及
活動を具体的な施策に落とし込んでいるように思います。将棋も将棋プログラムの「ponanza」が佐藤天彦名
人に勝利した、という状況は囲碁とよく似ていますから、将棋界がどのようにメディア露出をしているのか、
という点は囲碁棋士も参考にして、よりファンの皆様に近しい存在になれるように知恵を絞る必要があると思
います。将棋の羽生善治先生は実力もさることながら表現力が非常に豊かで、例えがわかりやすいです。逆に
考えると、そのような表現力の高さが将棋の強さを補完しているような気もしていて、2つの能力が相乗効果
を生み出しているように感じられます。私もそのようなマルチプレイヤーになりたい、という思いは強いで
す。
※4 サイバーエージェントとテレビ朝日の出資により設立されたインターネットテレビ局。
2017年2月1日に将棋チャンネルが開設され、積極的にメディア展開を行っている。
AlphaGo VS 李世ドル:囲碁界へ放たれたファーストインパクト
村上:それでは、だいぶ前置きが長くなりましたので、そろそろ本題の「AlphaGo」に関する出来事を振り返ってい
きたいと思います。一力七段が囲碁AIを意識したのはいつ頃でしょうか。
一力:2012年に蘇耀国九段、大橋拓文六段と一緒にZENと9路盤対決をしたのが最初です。しかし、その時は19路盤
で負ける日がこんなに早く来ると思っていなかったので、やはり「AlphaGo」の論文がNatureに載った2016年
1月頃でしょうか。樊麾二段との対局内容を見た時は、急激な進歩に驚きましたが、とはいえ3月に李世ドル
九段と対決するというのは正直に言えば早すぎると思いましたし、周囲の棋士たちも同様だったと記憶してい
ます。
村上:しかし、ふたを開けてみると・・・衝撃的な内容でしたね。
一力:まさに衝撃的でした。特に第2局目の序盤の打ち方が印象的で、今までの人間の常識ではない打ち方で圧倒し
ていました。しかし、冷静に見てみると、非常に理にかなっているという印象を受けます。例えば図2のよう
な進行は、左下の応酬を決めてから、黒13と適切な位置にヒラくというのは柔軟な発想で、大いにうなずけ
る打ち方です。右下の形は、黒の立場ではカケツギを打ったらすぐに下辺へヒラく、という固定観念がありま
したが、その点コンピューターはそのような意識がないので、目を洗われるような思いでした。
図1
左下の折衝で黒は左下隅の地を得る一方で、白は外勢を得た。
この白の外勢に一定の距離を保つ黒13が適切な一手。
一力:また、図2の黒1のようなカタツキは、このシリーズにおいて「AlphaGo」の構想力を象徴する一手と言えま
す。やはり最初は驚きましたが、今はこのような手にも違和感はなくなり、冷静になってみると全局のバラン
スを踏まえた非常に合理的な打ち方に思えます。
図2
(画像は第2回囲碁電王戦の公式サイトより)
村上:AlphaGoは2016年3月からしばらく表舞台から姿を消しました。一方で日本製囲碁プログラムである「ZEN」
が「AlphaGo」に対抗すべく、株式会社ドワンゴと提携して「Deep ZEN Go」プロジェクトを同時期に立ち上
げました。このプロジェクトが進み、相応の力量を備えたということで第2回囲碁電王戦が開催され、趙治勲
名誉名人に挑みましたが、これはどのように見ていましたか。
一力:ニコニコ生放送で、第1局の解説をしました。序盤は「ZEN」が積極的な打ち回しを見せ、序盤の感覚は非常
に参考になりました。立ち合いの張栩九段も、中盤の入り口あたりの時点では「僕より強いかも・・・」なん
て言っていましたね(笑)。しかし、中盤以降で特に攻め合いに関する部分の折衝で大小いくつかのミスがあ
り、「AlphaGo」と比べるとそのあたりがまだ粗い部分があるのかなと感じました。それでも、日本囲碁界の
レジェンドである趙治勲先生に1勝をあげることができたのは、大きな進歩と言えます。現在の「ZEN」は
2016年3月時点の「AlphaGo」レベルになっていると言って良いかもしれません。昨日行われた第3回夢百合杯
で韓国の申旻埈五段との碁(※7)は見事な内容でした。
※7 本インタビュー(6月20日)の前日に「ZEN」と申旻埈五段の対局が行われ、中盤の折衝で優勢を築いた
「ZEN」が韓国若手精鋭棋士の追撃を振り切り勝利した。
「Master」には勝てないと感じてしまった
村上:それでは、改めて「Master」の衝撃について話をお伺いさせてください。
一力:先ほどの繰り返しになりますが、まさに圧倒されました。特に序盤の打ち方で印象的な打ち方が多く、李世ド
ル九段戦の「AlphaGo」よりも内容的な密度ははるかに濃かったです。全60局の碁の内、最後の方で打たれた
碁を見ていると、人間側から「ちょっと勝てない」というような雰囲気が立ちのぼってきたような気さえしま
した。
村上:碁を見ているだけで、揺れ動く感情のようなものを感じたのですね。序盤の印象的な打ち方ということで私が
思ったのは、今までの常識からは考える候補にすら上がらなかったような手を「Master」は平然と打っていた
ように思え、今までの常識を捨ててもいいという免罪符にすら感じました。
一力:そういう意味はありますね。特に顕著なのは、序盤から星に直接三々に入る手法で、他の囲碁AIには見られ
ず、「AlphaGo」のみが多用しています。「囲碁の未来サミット」では柯潔九段が「AlphaGo」のお株を奪う
形で打たれていました。今までは図3のような進行が部分的な基本定石とされており、三々に侵入した白は実
利を得る一方で黒は外勢を得る、という考え方でした。しかし、「Master」の打つ三々は、まず図3で言う所
の白9、11のハネツギを打ちません。なぜかと言うと、黒10、12と受けられて黒の外勢を強化してしまうの
で、これを嫌っています。逆に、図4のように、状況によってはまだ外の黒石を攻めたてるような狙いを残し
て打ち進めます。
図3 図4
星の基本定石の1つ。 全局的な視点での進行一例。
白の実利、黒の外勢という単純な構図。 右下の黒の外勢と思われていた勢力を、
白11、13、15と周囲から攻めたてる展開を
視野に入れている。
一力:同じ形を見ても、これまで人間が捉えていた認識と違う解釈を見せられたようで、そういう考え方もあるの
かとハッとさせられました。そういう意味では自由度が増したと言えますが、やはり今までの常識や考え方と
いうものも確かにあるので、囲碁AIの打つ手をすぐに理解するのはなかなか難しいです。三々入りはあくまで
も一例で、60局の碁にこのような知見がいろいろとありました。李世ドル九段の時の「AlphaGo」はそこまで
の知見はなかったですし、第4局を負けたりもしていたのでまだ人間にもチャンスはあると思っていました
が、私自身、「Master」にはちょっと勝てないかな・・・と感じてしまいました。
村上:改めて一力七段の口からそう聞くと、一ファンとしては少し寂しいですね(笑)。
一力:棋士としては、こうなったら囲碁AIのいいところを吸収していこうという感じですね。中韓の棋士はこのあた
りは適応力が高いというのか、非常に割り切っている印象です。私はまだ三々入りは打ったことがないのです
が・・・日本の棋士としては河野臨九段(※8)がやはり昨日の夢百合杯で良いタイミングで三々入りを打た
れていました。
村上:一力七段は、AIが多用する手法はあまり打たれないのですか?
一力:三々入りに限った話ではないですが、自分で納得する前にただ真似をするというのはちょっと・・・。
ただ、先ほど言ったとおり、今までにない概念が現れたので、可能性が広がったとは言えますね。
※8 1981年生まれ。日本棋院の囲碁棋士。2005年に七大タイトルの1つである「天元」を獲得し、以降は国内
賞金ランキング10位以内を維持し続ける日本を代表する棋士の1人。
「AlphaGo」対「AlphaGo」の異様な応酬
村上:またまた話が飛ぶのですが、2017年5月に行われた「囲碁の未来サミット」の後に「AlphaGo」同士の自己対
戦の棋譜50局が公開されました。これらの棋譜からはやはり知見を得られたのでしょうか。
一力:率直に言って、「AlphaGo」同士の棋譜は必然性が分からず、理解や解釈が追いついていません。実は、1局
気になる碁がありまして、その碁を見た時に「AlphaGo」はどれだけ手を読めているのかわからなくなってし
まったのです。36局目の棋譜で図5-1と白が逃げだした場面がありました。実戦は図5-2と進行し、白は相当な
戦果をあげたのですがここに疑問があります。
図5-1 図5-2
読めていなかったのか、別の理由があるのか、
謎は深まるばかり。
一力:他の自己対戦の碁でも、戦いの途中で遠く離れたところの利かしを打ったりしていて、手順に必然性が感じら
れないシーンがたびたびあります。一方が人間である「Master」の60局や「囲碁の未来サミット」で打たれた
碁の方がずっと理解しやすいことは間違いありません。いずれにしても、自己対戦の碁を見た時に、強すぎて
わからないと決めつけるのはちょっと危ないのかなと思います。
シチョウのような形を逃げだした。 実戦の進行。白は上辺の黒3子を取り、
白は助かるのだろうか? 無事脱出に成功した。
一力:図6のように実戦とは逆に黒2の方からアテて追いかければ、白をユルミシチョウの形で取ることができてい
ます。捨て石にできるような形でもなく、変化の余地もないので、白が困っているようにしか見えません。
棋士にとってはそれほど難しい変化ではないので、このような例を見ると不可解に思えてしまいます。
図6
7月20日更新 第3回(全3回)
囲碁の未来サミット ~予想されていた結果、想像内の強さ~
村上:やっと最近の話に追いつきました。2017年5月に中国の烏鎮で行われた囲碁の未来サミットについては、やは
り「AlphaGo」が強さを見せましたね。第1局目では柯潔九段が序盤で工夫を凝らして目を惹きましたが、内
容についてはどう見ていましたか。
一力:「Master」のが年末年始に打った60局中2局に三々入りの手法が出てきましたが、それ以降に柯潔九段は人間
相手の対局でもたびたび三々入りを試みていました。「Master」の碁だけを見て、この手法に固執することは
ちょっと考えにくいと思います。しかし、囲碁の未来サミット後に公開された「AlphaGo」同士の棋譜50局に
は非常に多く見られました。したがって、柯潔九段は事前に「AlphaGo」同士の自己対戦の棋譜を見ており、
第1局目で「AlphaGo」を相手に打ってみた(図7)のではないか、と想像しています。
図7
目を惹く柯潔九段の三々入り。
今後、人間の対局にも市民権を得られるだろうか。
村上:そう考えると、柯潔九段は「AlphaGo」の打ち方をあえて踏襲したと言えそうですね。もし、一力七段が
「AlphaGo」と対決をするとなったら、どのように戦いたいでしょうか。
一力:難しい質問ですね・・・相手の真似をしていても勝てませんが、あえて相手の土俵に上がった気持ちもわから
なくはないです。でも、実際にその立場になってみないと想像し難いですね。
村上:この後も見どころはありましたが、序盤の折衝で「AlphaGo」がポイントを挙げてからは、わりとサラサラと
流れるように終局に向かったような感じを受けました。
一力:そうですね、左上の折衝で白の「AlphaGo」が得をしたでしょう。5月下旬に国際戦のLG杯があり、趙治勲先
生が同行されていたので、よく話をしましたが、図8の白1~3の打ち方を大絶賛されていました。実戦のよう
に、もともと打ち込んだ石を捨てても、フリカワリで隅の地を得れば良い、という判断はとても明るいです
ね。
図8
下方の白2子(△)を軽く見て、上方へ転身。
白3で人間ならばAやBのオサエを考えそうな
所だが、上辺を制限すれば十分と見ているようだ。
一力:ただ、正直に言うと1局目を見た時は意外にも「Master」の頃からさほど変わっていないという印象を受けま
した。「Master」よりもさらに進化しているのではと思っていたので・・・。
村上:2局目は中盤まで非常に競っていて、「AlphaGo」の評価値もかなりイーブンに近かったという話だったよう
です。
一力:確かに下辺からの戦いは難解な碁でした。治勲先生が大いに怒っていたのが、下辺の戦いが始まる前の柯潔九
段の打ち方です。実戦は図9の白1~3と打ったのですが、この局面では左辺に打つべきではないというので
す。その前に黒が左上の△の場所にハネて左辺を軽く見ているので、白も左辺からは離れるべきということで
す。もし、左辺の白1子を取りに来ても、今度は逆に□の切りが大きな手になりますから、左辺はそれほど巨
大な黒地にはなりません。
図9
当然のように見えた左辺の動き出し。
実際には、AlphaGoは価値が小さいと見た
場所を打った「ソッポ」を向いてしまった
手だったのか。
一力:図10の白1と下辺をコスめば白が有望だったのではという話になりました。下辺の黒1子を大きく飲み込む気
配を見せながら、次にAの場所の打ち込みが懐をえぐる急所を狙います。これなら黒も次の打ち方が悩まし
く、「AlphaGo」がどう打つつもりだったのかを聞いてみたいですね。
図10
主戦場は左辺ではなく下辺だった。
攻防を兼ねたコスミにAlphaGoの構想は。
村上:2局目が終わった後に、3局目の手番について柯潔九段が白番を要望しました。どうやら、「AlphaGo」に限ら
ず囲碁AIはコミ6目半でも、評価値を見る限り若干白が有利だと判断しているようですが、本シリーズはコミ7
目半ですから、柯潔九段も白番の方が良い勝負になると考えたのかもしれませんね。
一力:第3局でも「AlphaGo」らしい判断の明るさというものは感じました。図11の白△と打った場面で、黒1と右下
を打ったのは意表を突かれ、さらに白2,4と右辺を連打させて□の黒2子を捨てたのは想像の外でした。私であ
れば、黒1の時に右辺をどのように受けるかを考えている所です。しかし、黒5と下辺の白を攻める姿勢を見
せた時に白6と打った手が打ち過ぎで、Aのあたりに足早に逃げだしていれば、白も相当の碁だったと思うの
ですが。
図11
AIには恐怖も執着もないらしい。
惜しげもなく黒石を捨て、大場に打つ。
それでも良い勝負になるようだ。
3局目の終盤、対局中に柯潔九段は涙を見せる。
人間の尊厳をかけた勝負という一面があったことも事実だろう。
胸中は計り知れない。
一力:李世ドル九段戦や「Master」の衝撃に比べると、結果自体は予想できていたので、それほどの衝撃はありませ
んでした。また、非常に強いとはいえ、内容も想像できる範囲内だったので、今回のイベントは自分としては
特段の契機という捉え方はしていません。
人間同士の戦い
村上:さて、やっとこの1年半ほどを振り返ることができました。これからは今後の棋士の在り方や、AIとどのよう
に付き合っていくか、という観点でお話をお聞きしたいと思います。
一力:いわゆる2045年問題(シンギュラリティ)という話は以前から聞いていましたが、すでに囲碁では人間を超
えたという事実がある以上、他の分野・職業でも遠からずAIが人間を超えてくる状況は当然考えられますし、
想像よりも早い可能性ももちろんあるでしょうね。AIに仕事を奪われるという発想ではなくて、どう活用する
かという発想がこれから重要になると思います。今まで人間だとできなかったところを代替してくれる部分も
ありますし、あまり悲観しない方がいいのかなと。棋士について言えば、仕事がなくなるということはないと
思っていて、人間同士で打つことに意味があると思っています。将棋もAIに勝てなくなっている状況は囲碁と
同じですが、藤井聡太四段が出てきてすごいブームになっていることを見ると、やはり人間同士の戦いは人を
惹きつけることができると感じています。
村上:人間同士の碁を見せるということですが、個人的に気になることがありまして・・・。私もアマの大会等で碁
を打ちますが、やはりその瞬間は「勝ちたい」ということに集中しています。もちろん、プロはアマの比では
なく勝負に集中しているものと思いますが、それゆえに「ファンに見てもらう」という感覚というのがどのく
らいあるのかなと思っています。棋譜には解説が、そして対局中の写真やエピソードを観戦記者の方などが書
いて、ファンの方はそれらを受け取っている。そう考えた時に、棋士がよりファンの皆さんに能動的に「魅せ
る」にはどうすれば良いと思いますか。
一力:やはり将棋界が良いモデルケースとしてあります。テレビ中継、ネット配信を精力的に行っていますし、棋士
がたくさんメディアに出て普及活動をし、その結果「観る将」と言われるファンを獲得しました。囲碁棋士も
そういった活動をしていく必要があると思います。
村上:確かに、棋士が生み出す価値の1つである棋譜はとても良い素材だと思うのですが、そのまま調理せずにファ
ンに提供しても、素材の味だけで味わうことができるのは棋力が相当高い一握りのファンだけとも思えます
ね。
一力:はい、棋士も含めて、囲碁をどのように調理してファンの皆さんに提供するか、さらには既存のファンだけで
なく、囲碁を知らない人にどのように認知してもらうかということを考えるのが本来的に大事だとも思いま
す。将棋は叡王戦という大型棋戦が新設されました。今までは新聞社がスポンサーになるというのが常識だっ
た中で、ニコニコ動画を運営している株式会社ドワンゴがスポンサーとなる棋戦ができたということは、やは
り社会的に認知されているということでしょう。囲碁もなんらかのアクションを起こして囲碁ファンの獲得を
目指したいと思うのですが、実際にどう行動に移せばよいのか、というと悩ましいです。
村上:インタビュー冒頭(1回目更新)でもお聞きしましたが、早稲田大学に進学して多様性を学ぶことは、囲碁の
普及活動に活かしていくことにつながるわけですね。
一力:はい、ただ碁を打つだけではなくて、発信する側としての活動も鍛えるという意味があります。棋士は特殊な
職業なので、上の世代の方との交流が多くなる一方で、学校に行かないと同世代の人たちがどういうことを感
じて、何をしているのかを知る機会が比較的少ないです。なので、私は世間一般の感覚を取り入れるようなイ
メージで囲碁以外のことに取り組んでいますね。
人間:一力遼
村上:そろそろ最後の質問です。一力七段がこれから成長する方向性を教えてください。
一力:まずは棋士として国内外の棋戦で活躍することが第一です。しかし、長期的に見るとそれだけでは囲碁界全体
で考えた時に不十分だと思っており、特に囲碁を知らない人たちにどう認知してもらうか、あるいはファンの
皆さんに棋士が生んだ棋譜をどのように伝えるか、という活動も、プレイヤーとして活躍することと同じくら
い大切なことだと考えています。繰り返しになりますが、マルチプレイヤーになりたいという思いはあり、現
在もこういった取材や解説等の仕事をご依頼いただいた場合はできるだけ引き受けています。自分なりにわか
りやすく表現しているつもりであり、いろんな状況に対応できるように勉強したいです。囲碁は世間的には
とっつきにくいというイメージがあると思います。敷居を下げるにはどうすれば良いのか、ずっと昔からの難
しい課題ですが、工夫のしどころですね。
(了)
一力七段にインタビューの機会を得て、筆者は今後の囲碁界を牽引するだろう棋士がどのような意識で
AIを捉え、未来を迎えようとしているのかを聞きたいと考えた。「AlphaGo」が公に姿を現してから
たったの1年半で人を超え、急激な環境の変化に対応できる人間はあまり多くないだろう。しかし、一力
七段は自分の価値観をたしかに持ち、これからの生き方を模索する姿を見せた。筆者なりの考えでは、
AIの奔流に最も早く巻き込まれた囲碁界が、AIと共存し、時代に適応する姿を見せることは必要なことで
あり、かつ、囲碁の魅力を底上げすることにつながると思う。「AlphaGO」から垣間見えるシンギュラリ
ティを人間がどのように迎えるか、一人の青年の成長を見届けることで何かが見えてくるのかもしれない。